【違い・特徴】ニューヨークスタインウェイとハンブルグスタインウェイ《歴史》(ピアノトーク29)
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この記事では、ニューヨークスタインウェイとハンブルグスタインウェイの《歴史》について、調律師のTakeさんによる解説をご紹介します。
これからスタインウェイピアノを買いたい方・スタインウェイに興味がある方、ピアノが好きな方…きっと皆さんのお役に立てる情報が満載ですので、最後までお楽しみください!
皆さんこんにちは。ピアノ調律師のTakeです。
今回はニューヨークスタインウェイとハンブルグスタインウェイの違いについての第3弾。
両者の違いについて語る上で、欠かすことのできないスタインウェイ社の歴史(ストーリー)を簡単にお話しします。
まず、スタインウェイ社の創始者スタインウェイさんですが、本名をハインリッヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェークという名前です。
シュタインヴェークというのはドイツ読みで、それが最終的にスタインウェイにります。
彼は1797年、ドイツで生まれました。同じ年にシューベルトも生まれています。
彼が最初にピアノを作ったのは1825年・28歳のときでした。
彼はピアノを作りたいと思うと同時に、もう一つ大きな理由がありました。
当時、フィアンセがいて彼は28歳。1825年に結婚するのですが、その婚約者にピアノを作ってプレゼントしようと思い、それがきっかけにもなっています。
そのときに、彼はその恋人にピアノを作ってプレゼントしましたが、現代のようなグランドピアノではなく、普段は机になっているピアノでした。
机の蓋を開けるとピアノになるという「スクエアピアノ」と呼ばれる机型のピアノです。
このピアノを作って彼女にプレゼントしましたが、実はこのピアノ、その都市の貴族の方が「素晴らしいピアノだ!」と言って大変高価な価格で買い取ってくれました。
それで彼はピアノ作りで生計が立てられるかもしれない。
そう思ってピアノ作りに励んでいくことになります。
目次
最初に作ったグランドピアノ
それから11年後。
1836年に彼が自宅で作ったピアノが「キッチンピアノ」と呼ばれています。
今、現存してるこのピアノが彼の最初に作ったグランドピアノです。
なぜキッチンピアノというかというと、台所で作ったという裏話がついていますが、彼の家中がピアノを工場だったというのがその理由です。
このピアノは現在もスタインウェイ社に残っています。
スタインウェイの子供たち そして会社設立計画
彼は結婚後、子宝に恵まれて11人の子供が生まれました。
その後ピアノ作りを続けているうちに、息子たちがどんどん大きくなっていくにつれて、息子たちも手伝うようにさせました。
そして、本格的にピアノの会社を作ろうと考えます。
ところが、ドイツの国内でピアノを作る【平和産業】について経済的にあまり有利な条件ではなかったのです。
非常に不況な時代だったので、ドイツで作るには成功しないであろうということで「新天地」と呼ばれていたアメリカに拠点を移して会社を作ろうと計画をします。
そして、1850年に彼はドイツの故郷を捨てて、アメリカに一家で移住することになります。
長男・テオドール (アメリカ名 セオドア)
ただし、その時に長男だったテオドールが一人ドイツに残ることになりました。
彼は非常に優秀な技術者で一番年上でしたから、当然会社を作るのにはアメリカに移るべきだったのですが、なぜ(アメリカに)行かなかったのか?
これは私の想像ですが、実は彼にはフィアンセがいて、その恋人が、たぶん私はアメリカ中には行きたくはないわと駄々をこねたのではないかと。
そんなふうに勝手に想像しています。
また、彼は生粋のドイツ人魂を持っていて、彼自身もそんなに(アメリカに)行きたいとは思っていなかったことも事実です。
長男がドイツに残ることによって、スタインウェイ社は別な意味で成功の道を辿ることになります。
スタインウェイ一家がアメリカに渡ってから会社設立まで
アメリカに渡ったスタインウェイ一家はすぐに会社を設立した訳ではありません。
それから息子たちはいろんなピアノ会社に就職し、そして約2年間狭いアパートで暮らしながら資金を貯め、ニューヨークの生活になじむように暮らしました。
その間、ドイツに残ったテオドールと家族は手紙のやりとりをよくしていました。
ドイツに残ったテオドールがしていたこと
ドイツに残ったテオドールは何をしてたかというと、彼もドイツでピアノ作りをしていました。
実はグロトリアンという今でもあるメーカーと提携をして、「グロトリアン・シュタインヴェーク」…つまりスタインウェイの最初の名前、ドイツ語の「スタインヴェーク」の名前のピアノを作っていました。
その過程の中で、彼は将来スタインウェイのピアノを良くするために一生懸命考え、それまでの伝統的な手法に加えて、科学的なメスを入れたいと思っていました。
それで当時、物理学者であったヘルムホルツという人に協力を仰ぎます。
ヘルムホルツは生理学音響学を勉強した人です。
彼はその音響学の勉強をするために、ピアノ製造の手伝いをするのは非常に参考になると思ったので、テオドールの申し入れを受け入れて協力をすることになりました。
そして、ドイツ国内でテオドールとヘルムホルツが協力してピアノを研究し始めて、いろんなアイデアを出していきます。
そのアイデアをニューヨークの家族のもとに手紙で送り、アイデアのやり取りから、スタインウェイが会社を起こした後、いろんな特許を取ってピアノは素晴らしい評価を受けていくことになります。
ニューヨークで会社設立 そしてスタインウェイの決断
ニューヨークに渡ったスタインウェイ一家が実際に会社を設立したのは1853年です。
その3月5日にバリック通りというところに初めての会社を作りました。
ニューヨークではロングアイランドという郊外に大きな工場を建てるのですけれども、それは後の話になります。
実は会社を設立する前にシュタインヴェークはある大きな決断をしました。
彼らがアメリカに移住した時に、彼らがドイツ人ということで、差別や嫌がらせ・迫害を受けていました。
当時はスタインウェイ一家だけではなく、ドイツからピアノの生産者がアメリカに渡った時代でした。
その他のメーカーは、ドイツ人の誇りを捨てずにドイツの名前の工場を次々に建てました。
しかし、シュタインヴェークは自分たちがドイツの名前で会社を作っても、決してうまくいかないだろうと想像したのです。
そして大きな決断とは…
名前をすべてアメリカ風に変えてしまおうという決断をします。
スタインウェイのロゴマークがあります。
スタインウェイアンドサンズになっています。
スタインウェイと息子たちというこれが社名です。
ロゴについての動画:こちらもご覧ください。
先ほど紹介したシュタインヴェーク(STEINWEG)…ドイツ語でシュタイン(STEIN)は【石】、ヴェーク(WEG)は【道】という意味です。英語でウェイ(WAY)も同じ【道】です。
であるならば、英語ではシュタイン(STEIN)はストーン(STONE)にならなければいけません。
「ストーンウェイ&サンズ」が英語の表記だと思うんですけれども。
彼はここにドイツ語のシュタインヴェーク(STEINWEG)のシュタイン(STEIN)を残したのではないか…これも私の勝手な憶測です。
英語で(STEINの)EIを「アイ」と発音しませんから。
英語だと「シュテイン」となります。
彼らはシュタインウェイと、はっきりEI=「アイ」という発音をしています。
ここにドイツ語の【石】というシュタインを残して、【道】ヴェーク(WEG)を「ウェイ」(WAY)に変える。
そしてドイツ語ではゾンネ(Söhne)と言いますけれども、これをサンズ(SONS)=息子たちに変える。
シュタインウェイと息子たちという社名にしたのではないかと想像しています。
それともう一つ。ここにロゴマークがあります。
ここにもちょっとした秘密があります。
これは昔、こういう形のペダルを作っていました。
これはライラマーク、ペダルことを「ライラ」と言います。
竪琴 (Lyra)を模倣したマークで、ここに「STAYINWAY & SONS」が隠れています。
こちらの方はまさしくSですね。
こちらはSを逆向きにして真ん中に&が入っています。スタインウェイアンドサンズの略がこのライラマーク【竪琴】の中に隠れています。
そして、ここに線が3本ありますけれども、これは3本ペダルのロッドのイラストです。
ですから、よーく見ると下に3つポチポチポチとペダルがちゃんと残されています。
これがスタインウェイのロゴマークになりました。
シュタインウェイさんがなぜアンドサンズ…息子たちの名前にしたのか。
これはシュタインウェイが少年時代に天涯孤独でたった一人になってしまったという歴史があります。
この少年時代の話も非常に面白いんですが、もし機会があったらいつかお話ししてみたいと思います。
スタインウェイの娘たち
社名にスタインウェイアンドサンズ…「息子たち」と言いましたけれども、実は彼には息子たちだけではなく娘たちもいました。
ピアノ作りに参加したのは、息子たちだけではなく、娘たちもいろんな手伝いをしてました。
その中に、長女の「ドレッタ」という娘がいて、面白い話があります。
彼女はスタインウェイピアノを販売するために、いろいろ活躍しました。
特に有名な話が、ピアノを弾けない人にピアノを販売したという話があります。
彼女はピアノを弾けましたから、ピアノ弾けない人がいると私がピアノを教えるからピアノを買いませんかということでピアノを売ったそうです。
彼女はピアノを買ってくれたお客に出張レッスンに出かけて教えていました。
今でいう音楽教室のはしりだったと思います。
そんな形で娘たちもピアノづくりに参加していたわけです。
スタインウェイ、初代社長は誰?
1853年にスタインウェイ社は設立しましたが、最初の社長はシュタインウェイ本人ではありません。
初代社長は4男のウィリアム(ドイツ名をウィルヘルム)が初代社長になりました。
ウィリアムは非常に社交的で営業の部長として活躍をしました。
ドイツに残った長男のテオドールは、その後アメリカ工場の方に来て、初代の技術部長として活躍をしました。
スタインウェイ社は順調にいろんな特許を取りながら、素晴らしいメーカーとして認知されるようになります。
そしてアメリカ国内でたくさん、スタインウェイが欲しいという顧客が増えていきます。
そして、それはだんだん世界に広がります。
特にヨーロッパからスタインウェイの注文が舞い込むようになりました。
当初はスタインウェイ社はアメリカでピアノを作り、ヨーロッパの方にどんどんピアノを輸出していました。
ところが本体を輸出すると、輸送コストが非常に膨れ上がり、価格も現地のピアノよりも非常に高価なピアノになってしまうため、スタインウェイ社はいっそのことヨーロッパにピアノ工場を作った方が早いのではないかと考えるようになりました。
そして現在、ドイツにハンブルグ工場がありますが、彼らはドイツ人だからドイツに工場を作ったわけではないんです。
フランスの都市が有力だったそうですが、ヨーロッパで一番有利なところを探し歩いて、ドイツのハンブルグが工場を造るのに一番ふさわしい場所と決まった、という話を聞いています。
ハンブルグは【ハンザ同盟】(ドイツ系都市間の商業同盟)の都市で非常にその商売をするのに最適だった。
そして海から運河がありますので、木材を運ぶのにも適していた。
そういう条件が一致していたということです。
ニューヨークで会社設立から27年後、ハンブルグ工場設立! ニューヨークスタインウェイとの違い
1853年、スタインウェイ社が設立した27年後、1880年にハンブルグ工場が作られました。
ただ最初は、ハンブルグ工場は単なる組立工場でした。
アメリカから製品のスタインウェイピアノを送るなかで、いろいろな部品をパーツとしてハンブルグに送り、そのパーツを組み立ててピアノを作っていました。
ですから、ハンブルグ製のピアノもニューヨーク製のピアノも全て同じピアノだったというのが最初の歴史です。
それから第2弾でもお話しましたが、段々と、アメリカ音楽の文化に適する音・求められる音、ヨーロッパの文化の特にクラシックに適した音を求める顧客…そういうユーザーの求める音を作るべく、ハンブルグでは独自にハンブルグ製を作るという時代になっていきます。
ニューヨークからパーツを輸入して組み立てていただけの工場から、ハンブルグ独自にピアノを作り出していくようになります。
そこで、だんだんハンブルグ製・ニューヨーク製の違いが【形】それから【音】すべてに表れていきます。
こちらはハンブルク工場が作られてからのニューヨーク工場とハンブルク工場の絵です。実はこの絵は、いつもこのピアノトークに出演・編集してくださっているHanakoさんのお父様が描かれた絵です。
ニューヨーク工場の絵を見てもらうと、ちゃんとアメリカの国旗が掲げられています。
一方、ハンブルグ工場のこちらにもアメリカの国旗が掲げられております。 どちらもアメリカの会社であることを主張していることが分かります。
まとめ
それでは今日のおさらいです。
ニューヨークスタインウェイ・ハンブルグスタインウェイの歴史から見る違い・特徴。
スタートはニューヨーク。その27年後にハンブルグが設立されました。
経営…ニューヨークハンブルグ、どちらもスタインウェイ一家が経営。
製作…最初は同じピアノをそれぞれの場所で製作していました。
やがてハンブルグの方は、音色や外観の違うピアノを製作していきました。
今日はニューヨークスタインウェイとハンブルグスタインウェイの違いについての第3弾。
その違いを語る上で欠かせない、スタインウェイ社のストーリーについて、かいつまんでお話ししました。
私はこのスタインウェイ社のファミリーストーリーが大好きです。
スタインウェイピアノが工場で黙々と作られているというよりも、スタインウェイファミリーの生活・息づかいがスタインウェイの音に宿っているように感じます。
では皆さん、またピアノ楽しんでください!!
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